少しずつ理想の隔離社会を目指そう

電車で男女を強制分離するくらい別に何の問題もない。実際そうだと思う。

はてなブックマーク - トイレも男女別だから電車も男女別でいいんじゃない? - 脳内新聞(ソース版)

問題さえなければ強制されても構わない。正直、個人的には同意しがたい。強制の範囲は小さければ小さいほどいい、とぼくなんかは思ってしまう。電車で痴漢が起きやすいのは「男女が一緒にいるから」では、たぶん、ない。密着できる、逃げ場がない、周りから見えにくい…というような状況が恒常的にある。問題はここだろう。これについては、前エントリーに書いた。そもそも鮨詰の箱で運ばれなきゃ社会生活が送れないこと自体が間違っている、というのがぼくの今の結論だ。で、ラッシュを規制してしまえと書いた。銭湯やトイレとどこに共通点があるのかよく解らない。

ともあれ、男女を分離したってさしたるデメリットはないんだし、少なくとも大多数と思われる「男性から女性への性的なモニョモニョ」は物理的に不可能になる。だったら、強制分離してしまえばいい、という意見があるのも解からなくはない。好きではないけれども、まあ、理解はできる。性的マジョリティである男女の痴漢被害者や痴漢冤罪被害者がなくなる。マイノリティのことにかかずらって今できることをやらないのは違うだろう。そういわれて、違う、と青筋を立てるほど、ぼくはマイノリティに理解があるわけでもない。けれども、もっといい方法がある、とは思う。

「男女」別なんて半端なことをするからイケナイのである。もう、件のブックマークに結論をコメントしてしまったけれど、全個人を隔離すればいいのである。他人との直接的な接触なんて、生きていく上でまったく必要なものではない。物理的隔離が可能な場所はすべて個室化すればいい。電車も全室個室を義務化する。定員以上は乗れず、他人との接触も不可能になる。これなら老若男女の別なく性犯罪どころかスリや暴力だって撲滅できる。物理的に隔離することが難しい屋外や不特定多数の共有空間では、あらゆる他者間接触を禁止する。当人同士の合意如何に関わらず、だ。

いきなりでは反発もあるだろうけれど、家族同居なんて慣習も徐々に変えていった方がいい。夫婦間レイプやらDVやら、他者と同居することで起こる問題は少なくない。出産育児教育といった種の保存に関わる営みについても、徐々にシステム化して人間同士のコンタクトポイントをゼロに近付ける方向で努力すれば、解決する問題は多いように思う。子供の健全育成に親の愛情が不可欠だなんてことは、たぶん、ない。全人類の全子供がそういうものと無縁になれば、そういうものを与えられなかった子供だけが特別に気に病むようなこともないだろう。…何やら話がSFめいてきた。

まあ、今すぐにここまでの個人隔離社会を実現するのは難しい。とりあえず、電車からだけでも個室化を進めてみればいいんじゃないだろうか。個々人を隔離したところでさしたるデメリットはない。多くの犯罪の芽が摘まれることを考えれば、なんだか裏寂しいよね、とか、閉所恐怖症はどうするのか、なんてのは瑣末な問題だ。そもそも、人間社会に信頼関係だの恋愛関係だの性関係だのといったものは不要である。なくたって死にはしない。男女を一緒にする理由がないのと同程度には他人同士を一緒にする理由なんてない。さしたる理由がないなら規制したっていいはずだ。

あとは、自分がそうした社会を望むかどうかだけの問題である。

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「いや、なにもそこまでを望んでるわけじゃない」と言うならば、じゃあ「どこまで」を望むのかと問われるべき人はこの記事の読者中にもいっぱい居そうですが、誰も直接にこのまえの自尊感情のときみたいには反応しませんね。それがまったく原理的には可能であるのだということに気付かないのだろうか。
なんて、私もいち読者にすぎないのに、はなから傍観者気取りというのもなんだけども

> nbさん
まあ、短絡的でクダラナイ極論だと思われているのかもしれませんね。ぼくはさして極論だと思ってはいないわけですが。少なくとも男女分離と同程度には。ただ、傍観者気取りという意味では、書いているぼく自身にもそういうところがあるのかもしれません。ある程度の志向は明らかにしているつもりながら。

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