性的欲望の対象になることが怖いのは何故か?

昨日のエントリーで迷った末に触れなかったことがある。

年齢も性別も超えたエロ先進社会、或いは、ロリコンの解放|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記
はてなブックマーク - 年齢も性別も超えたエロ先進社会、或いは、ロリコンの解放|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

それがブックマークコメントで指摘されていた。lisagasu氏のコメントで「欲望の主体であることに慣れすぎ、客体になる感覚がわかってない。性的欲望の対象になるのは恥ずかしいんじゃなくて怖いんだよ。だからトラウマになりやすいのに。」というものだ。実は、前回エントリーの公開前の段階ではこの点にも触れていたのだけれど、論点が広がりすぎるのを避けるためパラグラフごと削除してしまった。敢えて書かずともそうした問題まで包括した内容になっている、と自ら過信していたところもある。やっぱり、説明すべきかと思い直し、以下「客体」側の話をしてみる。

まず、前回の記事に書いた「相手が嫌がる状況ではなく、心身ともに傷付けない」という前提をもう一度確認しておく。繰り返しになるけれど、強姦や暴力は年齢性別を問わず唾棄すべき犯罪である。そして、人が「性的欲望の対象になること」を恐れる理由の多くは、そこに「犯される」というマイナスのイメージを持っているからではないだろうか。そして、怖いのは「性暴力の対象になること」なのではないか。そんな「怖い」性行為をぼくは当然支持しない。それでも、「性的欲望の対象になること」自体が怖いというなら、それはやっぱり社会的抑圧である可能性が高い。

たとえば、性的に潔癖な環境下で「性行為は不潔」「セックスをすると穢れる」「生殖目的以外のセックスは不純」「伴侶以外の人とのセックスは恥」というような教育を受ける。或いは、そうした価値観を持った親が、我が子を性から遠ざけるために異性のことを獣か何かのようにいう。はたまた、一人暮らしの女性の部屋によく男性が訪ねてくるのを見て、さも不潔なことであるかのようにいう。…こうした家庭における「性教育」の影響はたぶん大きい。必要以上にオープンなのも良し悪しだけれども、あまり性的なものに否定的な意識を植え付けすぎるのは問題だろうと思う。

こうした必要以上に性を忌避する価値観の多くは、まったく合理的ではない「大人の事情」を反映したものであることが多い。中には嫉妬なんかもあるだろう。また、家父長制のような古い社会構造を担保するための抑圧が、すでにその社会的意義を失ってなお生き残っていたりもする。性行為は男性がするもので女性はされるもの、みたいなイメージを持っている人が多いこと自体、社会的抑圧の深刻さを物語っている。もちろん身体の構造的には男が入れて女が受けるわけだけれども、それは別に行為の主体が男性である必然性の根拠にはならない。男尊女卑のトラウマは根深い。

トラウマつながりでいえば、性行為自体を怖がるケースとして「幼少期に親の性行為を見てしまった」という例があるらしい。まあ、実際にどの程度あるケースなのか、どんな状況で見たらトラウマ化しやすいのかなど、詳しいことは分からない。だた、これについてはトラウマになっても仕方のない面があるとは思う。何しろ、「欲望に我を忘れている大人」は怖い。そんな大人を何の心の準備もなく見せられてはたまったものではないだろう。大抵の大人は子供に対しては子供用のお面を付けて接する。それがイキナリの欲望全開ではショックも大きかろう。気を付けた方がいい。

いずれ、「性的欲望の対象になること」が怖い社会というのはあまり健全ではないだろう。


【関連して読んだページ】
男女でエロマンガについて楽しく語り合うためには - E.L.H. Electric Lover Hinagiku
流石に会社じゃ書けませんでしたw - あんちえふぇくしょん


【はてブコメへの返答(追記)】
かなりデリケートな問題に触れてしまったので、気になったコメントについて、少し思うところを書いておこうと思います。

はてなブックマーク - 性的欲望の対象になることが怖いのは何故か?|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

> mindgater666さん
ブコメ欄にも書かせていただきましたが、さらに補足しておきます。まず、肉体的に受け入れ不可能なほど幼い少女相手の性交は、すでに暴力の範疇でしょう。本エントリーはむしろ、否応なく「性的存在」であることに社会が負の印象を与えているんじゃないか、というのが主題で、それが不幸なトラウマを生むこともあるという話をしたかったわけです。

> ohkami3さん
「子どもを性的なものから遠ざけるべきてのはまた違う論理な気がしますが」という点については、別の方のコメントにもある通りエントリーで問題にした「社会的抑圧」などではなく、より実際的なリスクを中心に考える必要があると思います。

> katzchangさん
ご指摘の「感染症と望まない妊娠の危険性」を子供に教えたり、そうした観点から適宜子供を性的なものから遠ざけるという判断は必要だと思います。それは非合理な「社会的抑圧」なんかではありませんから、本エントリーにおいてもそうした教育まで否定する意図はありません。

> steam_heartさん
「剥き出し」は欲望に限らず怖いですね。剥き出しの怒りなんかも怖いです。だから、普通はあらゆるレベルのコミュニケーションでもって互いの欲望や感情をすり合わせながら幸福な関係性の構築を試みるんだと思います。性交渉もそうした枠組みの中で語られるもののひとつではないかと思います。

> sorano_kさん
分かりにくくて申し訳ありません。「要するに自分の欲望の対象にされても怖くないんだよ!」という趣旨のエントリーではありません。それから、仮に、ぼくに対して男性が性的な意味で好意を寄せてくれるとして、ぼくはそのこと自体を怖いとは思いません。力で敵わない相手に無理矢理掘られるのはもちろん怖いですが。

> julajpさん
合意に関しては難しい問題ですね。年齢だけでなく、たとえば障害や病気などが原因で判断力に問題のあるケースというのはあるかと思います。当人の「合意」が有効となる年齢は何歳が適正かなど線引きは極めて困難でしょうね。もちろん3歳や5歳の幼児に性交渉の合意を迫るなどは端から非現実的だとは思いますが。また、判断力については何も性だけの問題ではなく、あらゆる意思決定に関わる問題になってしまいます。たとえば、親の判断で子供に習い事をさせた結果、予想外にその子を不幸にしてしまったとして、その不幸の責任はたとえ親でもとることはできません。

> lisagasuさん
「心身ともに傷つけないって具体的にどんな状況なのか?」については、正直、どう答えていいのかよく解かりません。ぼくにとって誰かと性的関係になることは、決してお互いを傷付け合うことを前提としないからです。お互いを傷付け合う性的関係というのもあるのでしょうけれど、それは個々の人間関係の問題ではないでしょうか。それほど豊富とはいえないぼくの性体験はどれも、少なくとも互いに心身を傷つけ合うようなものではありませんでした。結果、失恋などで傷付いたり傷付けたりすることはありましたが。また、このエントリーのような主張が誰かを抑圧する可能性についてはよく考えてみたいと思います。

related entry - 関連エントリー

trackback - トラックバック

trackback URL > http://lylyco.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/424

comment - コメント

時々拝読して、うなずいたり感心したりしてます。でも今回はひと言発言したくなりました。性的欲望の対象になる怖さとは、相手にとって自分の人格はゼロで完全にモノとして見られる怖さです。自分もその気なら全く怖くありません(これが合意でしょうか)。しかし自分に性欲が全くないのに一方的に他人の性欲の対象になった時、なぜか心底ぞっとします。性に目覚めていない幼児期の痴漢体験がトラウマになるのは、だからだと思います。

> jamesさん
なるほど、こうした感覚には個人差もあるのでしょうけれど、一方的に向けられる感情には、一定の拒絶反応がほとんど先天的に生まれるものなのかもしれません。性欲に限らず、一方的な好意なんかも場合によっては気持ち悪がられたりするようですし。中でも、性というのは一層極端な反応になりやすいように思います。すでに本能の領域を相当に逸脱し文化的な側面を強く持ちながらも、生殖という動物にとってあまりに根源的な行為に直結していることも何か関係があるのかもしれません。少なくとも本件については、もっとはっきりと文化面に限定した話として論旨を組み立てるべきだったと反省しています。

返信ありがとうございます。はい、一方的に向けられる性的欲望は精神的暴力に匹敵するかもしれません。
コメントしようと思ったきっかけは、「幼い頃から可愛くて性的な意味でもモテモテだった、というのが社会的にプラスの評価を得られるとしたら、肉体的にも精神的にも傷付くことなく、むしろ自信を持って成長するかもしれない。」というフレーズでした。(すみません、これはここじゃなくて、8/11にアップされた文章でした。)幼い子は、「性的な意味でもモテモテ」を絶対に喜べないだろうと感じたからです。私は特に厳格にしつけられてないと自分では思いますが、幼稚園のころ痴漢に遭った時、気持ち悪いと同時に自分が悪いと思い、親には決して言えませんでした。自分が望んでいないことをされるのは不快です。で、わけもなく不快なことをされるわけはないと世の中を信じていたので、これは自分が悪いのだろうと。人間関係は相互的なものだと4〜5歳なら既にわかっていたからだと思います。そして悪いことをした自覚はなかったから、そういう自分に自信がなくなり、余計に怖かったのを覚えています。

些細なことに拘って、すみませんでした。幸い性的にもふつうに成長し、この経験が大きな傷にはなっていないと思っていますが、どこか引きずっているのかもしれませんね。ただ、やっぱり性に目覚める思春期という時期には意味があって、それ以前の心身共に幼い人間にとって、性的な事柄は負担にしかならないと思えてなりません。

> jamesさん
「性的な意味でもモテモテ」を一方的に性行為を迫られることの意味で使ったわけではなかったのですが、これは誤解を生む表現だったと自分でも思います。たとえ幼児でなくても、不本意な性行為は痴漢を含めて不快なのが当然だと思います。多くの異性(同性愛者の場合は同性)に「いい女(男)だ」と思いを寄せられることをモテると表現しただけで、色んな人と性的関係を結んだり頻繁に痴漢に遭うような人を「モテモテ」といったわけではありません。
それにしても、やはり「気持ち悪いと同時に自分が悪いと思」うものなんですね。合意なき接触など完全に相手の非であるにもかかわらず自分を責めてしまう。そんな謂れなき自責の念を、社会のありようや教育のありようによって救うことはできないものかと思わずにいられません。幸い、jamesさんは「大きな傷にはなっていないと思」えているということですが、大袈裟ではなく塗炭の苦しみを味わっている人もいるんだろうと思いますから。

私が、元彼を説得した言葉をひとつ。「怖いから待って」と言った。で、「俺、怖いよな」と言うから、「そうじゃなくて自分が怖い」「は?」「あなたが、もし職場の上司とホテル行きたくなっちゃったら自分が怖いでしょ!?」「・・・・・」って、これはまぁ『自分が性的欲望を持つことの怖さ』であったりする訳ですが・・・真面目にかきますと、幼児期に親兄弟に性被害に直接遭った人というのは、「神なんて信じない、もちろん世間の異性一切を信じない」くらいのトラウマを持ってるのが普通です。『自分が性的欲望の対象になること』は、それ程に怖いことなのです。

> faye2071さん
まず、現状認識として「怖いと思う人が多い」ということは分かっているつもりです。知りたいのはその先です。性的欲望の対象になった人は「なぜ恐怖を覚えなければいけないのか」或いは「なぜトラウマを抱えなければいけないのか」。ぼくはそこに性に対する社会的な抑圧みたいなものをおいて考えてみたかったんですが、そんな難しいテーマを語るには知識も技量も足りませんでしたね。いずれ、性行為と性暴力をイクォールで結ぶならそれは恐怖でしょう。つまり、性行為は欲望される側にとってはおしなべて性暴力を意味するということなんでしょうか。だとすれば、性行為なんて法律で禁じてしまえばいいとさえ思いますが。個人的には。

う~ん、むつかしいです。実際条例では本当は(相手が高校生の場合)禁じられてますよね。・・・社会的な抑圧ねぇ。もうちょっと突っ込んだことを書きますと、実は知り合いで、少年期に実の姉に性被害に遭った人がいる。実際には、彼は「欲望した側」でもあった訳ですが、事が終わった後、姉貴が「汚いものでも見るような目で見る」のが耐えられなかったとカミングアウトしてました。正常な現実っていまだそのようなものかと。

コメントを投稿

エントリー検索