ロリコンを馬鹿にできる人の無邪気なメジャー信仰

男が成熟した女に欲情する。それはまったく自然なことではない。

自然なのは「欲情する」ことだけで、「成熟した女に」は実のところ学習の結果にすぎない。いい換えれば、人間は欲望の対象を本能的に「正しく」選ぶことなんてできないのである。周囲に犬しかいない環境で育てば犬に欲情し、犬と山羊がいればその中からたまたま気に入った方に欲情する。木の枝に擦り付ける以外に快楽を知らなければ、形の良い木の枝に欲情する人間ができても不思議ではない。人間の性欲などそんなものだとぼくは思っている。つまり、異性に欲情するにはまず異性が性的なものとして確かに存在し、他の何よりも快楽を期待させる存在でなければならない。

昔は、女を抱く素晴らしさを喧伝する大人がいて、快楽を期待させる異性が周囲にごろごろ転がっていた。また、ひとりの人間の生活空間は今ほど隔絶されておらず、性的場面との接触可能性もずっと高かったろう。そして、向こう三軒両隣程度の世間に生きていれば、性的対象として年頃の異性や婀娜っぽい年増女以外を選ぶほど、多様な価値観にも偶然の出会いにも恵まれてはいなかったはずだ。働ける歳になれば日中は働くよりなく、夜は寝るかセックスするくらいしかやることがなかった。欲望をシコシコと鍛え上げ、妄想を逞しくしている余裕なんて庶民にはなかったろう。

だから、時間も金も人脈も情報も余人より多く手にしていた殿様やら貴族やら御大尽方は、洋の東西を問わず昔々から変態性愛に現を抜かしていた。これは単に接触可能性の差に過ぎない。生ゴムに欲情するには生ゴムに性的興奮を覚えるための偶然か事前情報が必要だ。江戸の長屋に生ゴムはなかったろうし、人口流動性皆無のムラ社会にインターネットはなかった。性的イコンとしての萌えキャラも女子高生もなかった。つまり、欲望が多様化するほどにその対象は多様ではなかった。だから、たまたま「成熟した女性に」欲望が向かう率が高かった。それだけのことだろう。

今、世間にはモノや情報が不要なほどに溢れている。そして、多くの人が「性的存在」であることを巧みに隠して日常を生きている。個人の生活空間は極めて密閉度が高く、性的場面に出くわす可能性は激減、若輩に猥談を仕掛ける年配者など疎まれるばかりで絶滅の危機に瀕している。性的場面は徹底して隠蔽され、性に目覚めた子供らは欲望の対象を、特に「成熟した異性」に誘導されることなく育つ。かくして「成熟した異性」以外のものに興奮を覚えてしまう可能性はぐっと高まり、そこに生まれたあらゆる性的嗜好はメディアの波に乗ってあっという間に可視化、共有される。

すでに性的欲望の対象として「成熟した異性」は無数にある選択肢のひとつでしかない。それでも、それなりに多数派を保てているのは、メディアにおける性情報がまだ成人同士の異性愛に偏っているからだし、また、結婚制度を筆頭に異性間交渉を前提とした社会が存続しているからでもあろう。とはいえ、それはただ多数派であり社会制度に合致しているというだけで、欲望として「正しい」とか「優れている」とかいうことを意味しない。成人異性愛者が小児同性愛者を馬鹿にするのは、EXILEファンがKENSOファンを馬鹿にするくらい文化度の低い無邪気なメジャー信仰にすぎない。

もちろん、精神的充足や幸福まで視野に入れるなら、また別の視点が必要だろうけれど。

【追記】

とりあえず、本件が乱暴な論だというのは認める。その上で少し言い訳しておくと、これは「性行為」の話ではなく「性的嗜好」の話のつもりだった。なので、少なくとも最終段の「成人異性愛者」「小児同性愛者」は「成人異性愛嗜好」「小児同性愛嗜好」と書くべきだった。ぼくが前提として念頭に置いていたのは、たとえば、死姦に興奮する「嗜好」はOK。でも、人を殺して犯すのはNG。そういう切り分けは必要なんじゃないかということ。つまり、「死姦に対する抗い難い嗜好は殺人行為に繋がり易いに決まってるから嗜好そのものをNGとする」みたいな考え方は乱暴だろう、と。

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