ぼくがモノを買わない理由

ぼくもまた、あまり日本経済に貢献していないひとりだと思う。

若者がモノを買わない理由--インターネット依存、低い上昇志向・・・:マーケティング - CNET Japan
痛いニュース(ノ∀`):若者がモノを買わない理由-「インターネット依存」、「低い上昇志向」

理由は簡単で、そもそも欲しいモノがない。そして、本当に欲しいモノはプライスレスだったり、プライスが尋常じゃなかったりしておいそれとは買えない。だから、月々の支出は大した上下動もなく低空飛行を続けている。ぼくは大した意味もなく日々の収支をエクセルにちまちまと記録しているのだけれど、生活に必要な出費以外で消費らしい消費といえば、外食を含め人と会って遊ぶお金が大半で、あとは本とCDと最低限の衣服くらいしか買ってない。明らかに物欲が薄れている。まったくなくなったわけではないけれど、モノに対するワクワク度は、年々確実に低下の一途を辿っている。

もちろん、高級で上質なモノに興味はある。フランク・ミュラーの時計は面白いと思うし、メルセデスはよくできた車なんだろうと思う。そうした素晴らしさはぼくを感動させもするし、敬意を払わせもする。けれども、ぼくはそうしたものが創られることの素晴らしさに感嘆はするのだけれど、その素晴らしさが生んだ「製品を所有すること」には特別の素晴らしさを感じない。つまり、メルセデスは素晴らしいけれど、メルセデスを自分が持つことは、特に素晴らしいとは思えないのである。それは、ピカソの偉大さに感動はしても、ピカソの絵を所有したいとは思わないのと同じである。

以前はもっと強烈な所有欲があった。素晴らしいものは何でも欲しいと思った。お金がないからそう何でも買えるわけではない。それでも、買えるものは買った。いつの頃からだろう。買ってしまってからよりも、買う前の方が楽しめている自分に気付き始めた。実際、買った後も長くぼくを楽しませてくれるものはとても少ない。下手をすると、買っただけで満足してしまうものまであったりする。大事に保管したり飾ったりするならまだしも、未開封のまま押入れの肥し…なんてことになると、何のために買ったのかと思う。買う瞬間をピークに意味が失われる買い物とはあまりにも虚しい。

冷静になって考えてみると、欲しいものは劇的に減っていった。ぼくは電化製品が大好きだ。ヨドバシカメラは相変わらず魅惑のテーマパークだけれど、買わずに満足することが多くなった。自分の限られた時間を何に費やすべきか。手が回りそうにないものは買わない。持っているだけで嬉しいモノ、余暇を楽しませてくれるモノ、毎日の生活が楽しくなるモノ。そういうものに出会ったなら、買える範囲で買えばいい。お金は使うためにある。だから、自分にとってそれは本当に価値あるモノなのか、それだけを考える。実際のところ、お金で買えるモノで本当に欲しいモノなんてそうはない。

それを上昇志向がないというなら、ぼくはそう思われて一向に構わないと思っている。

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