広島遠足のしおり~初日「戦争と平和」後篇

diary070813.jpg広島駅から呉は思いの外遠い。

人ごみに手間取ったせいで広島駅に着いた時間が既に16時を回っていた。呉行きの列車は鈍行ばかり。彼女が携帯で調べたところによると呉着は17時33分である。遅い。目的地まで1時間ほども掛かってしまう。大和ミュージアムのウェブサイトによると開館時間は18時まで、入館は17時半までとなっていた。間に合わない。僅かながら間に合わない。

それでも、呉行きを辞める気にはなれず、まあ、周辺探索に終わってもよかろうと列車に乗った。潜水艦あきしおの外観を拝み、陽が落ちれば屋台が並ぶ赤ちょうちん通りをひやかすという手もある。海辺の町であれば、夕暮れの海を眺めるだけでも構わない。それにしても、JR呉線というのは足の重い列車である。駅は多く停車時間もえらく長い。

駅に着いたところで夕食の予約に電話をかける。首尾よく席を確保し安心したところで、とにかく大和ミュージアムへと向かう。すでに陽は傾き始め、空は橙に染まりつつある。日中の茹だるような暑さも少しはマシになった気がする。海風のせいもあったのかもしれない。歩道橋からミュージアムの入り口が見える。どうもまだ人が出入りしている様子だ。

もしやと思い入館してみると開館時間は19時までとある。どうやらぼくの勘違いか見落としだったようだ。後日調べると7、8月は19時までとサイトにもちゃんと書いてある。未練がましく寄ってみてよかった。これで諦めていた大和が見られる。なんといっても見ものは「10分の1戦艦大和」である。個人的にはほとんどこれだけを見にきたといってもいい。

パネル展示などはそこそこにいそいそと大和の元へと足を急がせる。薄暗い展示室を抜けた向こう側、西陽射す吹き抜けの大空間にそれはあった。陽光を照り返す旭日旗、逆光に黒々と影を落とす艦橋から主砲、艦首を舐めるように眺め歩く。デカい。いや、個々のパーツを見ればもちろん10分の1なのだから小さいのだけれど、総体としては十分に大きい。

本物はこの10倍とは凄まじい。

甲板の高さからはもちろん、下から見上げることも上から眺め下ろすこともできる。特に艦首の下辺りから見上げた大和は、背に夕陽を負い実に勇壮な姿を見せてくれた。大和ミュージアムで大和を見るなら夕方がいい。絵になる。こうした模型を見るならライティングは重要である。新しくてキレイなものは、隅々まで光を当てて見るものではない。

ちなみに大和ミュージアムには大和の模型以外にも、人間魚雷回天や零戦なんかも展示されている。また、浮力の原理や船に利用されている技術を体験する子供向け実験設備みたいな展示もある。さらには未来を語る展示としてなぜか松本零士のコーナーまであったのだけれど、この辺りになるとほとんど食指は動かずさらりと通り過ぎてしまった。

ともあれ、大和を中心に1時間ほど見物して退館する。平和記念資料館に比べれば客もほどほどで存分に落ち着いて見物することができた。この後は夕食の予約もある。呉とはこれにてお別れである。19時頃に呉駅に戻ると、なんと19時21分まで電車がこない。仕方がないので20時の予約を30分遅らせて電車を待つ。なんとものんびりとした旅である。

JR呉線は文字通りの鈍行に付き合い、広島駅からは路面電車で八丁堀へ。商店街を抜けて少し路地を入ったところに目的の看板を見つける。「水軍の宴」。いけす料理の店である。店構えは比較的新しい。外に出ているメニューを見ると、いかにも良心的な値段設定である。暖簾をくぐり、店員に名前を告げ、案内されたカウンター席に腰を下ろす。

真コースという5,000円のコースを注文し、あとは喋りながらのんびりと舌鼓を打つ。刺身の絶妙に歯を押し返す弾力がたまらない。脂ののった旨みがとろけ、つるりとのどを通る感触も至高。焼き物、煮付けにも厭味にならない程度にソースや香草でひと工夫してある。素材の味を活かしながら、しっかり料理の妙も味わえる。まさにお値段以上。

魚好きにはたまらない店である。

良い気分で店を出て、ホテルまでの夜道をフラフラと歩く。まだ路電も走っている時間だけれど、乗るほどの距離でもない。風が通る。ほろ酔いの肌に心地好い。店を出て10分弱といったところだろうか。ホテルの傍のコンビニエンスストアに立ち寄り、お茶やアイスクリームなんかを買い求める。1日の終わりに余韻を愉しむにはほどよい散歩になった。

広島遠足のしおり~二日目「古代の神々」に続く。

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comment - コメント

広島ネタには反応しておきます。(笑)

私の父は呉のドックで建造しているときの大和に乗ったことがあるそうです。

主砲の砲弾が置いてある(立っている)ところで、そのあまりの大きさに抱きついて両手で大きさを確かめていたら、こっぴどく叱られたそうです。

「砲弾の大きさを調べているスパイと見られて殺されても知らないぞ」というのが、その理由だったそうです。

なるほどと思いながら時代の雰囲気を感じた実話です。

おお、本物の大和ですか。それは凄い。
大和の主砲といえば内径46cm、長さ22mという泣く子も黙る超巨大砲塔で、斉射試験では衝撃実験のために甲板のあちこちにおかれたモルモットが残らず圧死したなんて話も目にした覚えがあります。調べてみると、砲弾の方も長さ190cm、重さ1.5tというとんでもない大きさで、これを330kgの火薬でぶっ飛ばすというんだから恐ろしい話です。
そうしたものを現実のものとして目の当たりにした人から直接話に聞くのと、ぼくのように間接的な情報でしか知り得ないのとでは、やっぱり伝わり方に計り知れない差があるんだろうなあと思います。

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