切込少年、レッドカーペットを行く

古い文庫本の黄ばんだページから目をあげると、窓の外は一面の白に覆われていた。いつの間に降りだしたんだろう。「誰でも読めるが、誰にも読めない書物」と必死で格闘していたせいか、まるで気が付かなかった。漠とした「超人」の姿が脳裏にちらつく。現実に戻ってきたはずなのに、まるで現実感がない。そういえば、車両内から人の気配が消えている。盛岡で乗り換えた時には、確かに何人か同乗の客があった。お父さんかお母さんは一緒じゃないの、とひどく聴き取りにくい声で話しかけてきた老婆も、知らないうちに隣のボックス席から姿を消している。思わずほっとした。どこかの駅に停まった記憶も、人が降りていった記憶もない。いまはどの辺りを走っているのだろう。列車が枕木を踏む音だけが、辛うじて現実の肌触りを伝えている。景色はただ後ろに流れるばかりで、ふらふらと迷いながら落ちてくる雪片の他に動くものもない。自分はひとりなのだと思った。父のいいつけどおり北へと向かう自分だけが、ただひとり、ここにいる。それはとても心の休まる考えだった。読みかけていた本を閉じて、パンパンに膨らんだリュックのポケットに押し込む。10歳の誕生日に父からもらったばかりの腕時計に目をやる。終点の大曲まで、まだ一時間以上はかかるだろう。

二週間ほど前の話だ。三学期ももう半ばを過ぎていた。島根の寂れた田舎町にある、一学年の生徒数が一ダースにも満たないその小学校は、すでにのんびりと春を待つような気分に包まれていた。終業の鐘がなり、そわそわと落ち着かないクラスメートたちの声を聞くともなしに聞きながら席を立つ。いつもと同じ、誰とも顔を合わせず、ひとり黙って帰路についた。何もない町だ。まっすぐに帰って本の続きでも読もう。ほとんど自動的にそう考えていた。夕食の席で「もうすぐ春休みだな」といった父のすまなそうな声で、また引っ越すんだとわかった。土鍋の底を箸でかき回しながら、水菜の陰に隠れた鯨の肉を探す。やっぱり鍋は鶏のほうが旨いなと、まったく関係ないことを考えていた。父は終業式までここにいられないことをしきりに気にしているようだった。気にしなくていいよ、平気だから。いいかけた言葉を飲み込む。別に慰めや強がりだったからじゃない。本心だったからいえなかった。だいたい、二学期と三学期を過ごしただけの学校で、終業式に出ることにそれほど意味があるとは思えない。別れを惜しむような友だちもいない。いつものことだ。ただ、そんなことをいえば父は余計に哀しい顔をするだろう。それくらいのことは、その頃にはもう、理解していた。

転校して二週間ほど経った頃、担任の教師がホームルームで「なぜ彼は、みんなと話さないのか、考えましょう」といいだしたとき、逃げ場はないのだと観念した。それは言葉を変え、形を変えて何度も何度も繰り返されてきた風景だった。小学生の子どもが友だちも作らずひとりでいることは、都会か田舎かによらず、どこの学校にいっても決して許されない。都会から転校生がやってくる。そんな、見知らぬクラスメートたちの好奇の目を想像しながら、暗澹たる気持ちで教室の前に立った転校初日。担任教師が先に立って、ガラリと戸を開ける。父が買ってきたダサい服とガリ勉メガネの冴えない姿を確認して、新しいクラスメートたちはどこか躊躇いがちにゆっくりと静まりかえっていった。ボソボソと覇気のない自己紹介が続き、彼らの勝手な期待はこれ以上ない完璧さで裏切られた。それから愛すべき孤独を手にするまでに、たいした時間は要さなかった。それは選び取った平穏だった。どうせここにも、そう長くはいないだろう。そのまま放っておかれることが、なによりの望みだった。けれども、大人たちは絶対に放っておいてくれない。どんな言葉で説明してみても、友だちがいないのは良くないことだという大人たちの心を変えることはできない。諦めるしかなかった。

人の気配に顔をあげると、ゴスロリの服を着たハートマン軍曹が巨根を振り乱して放尿

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[ 元ネタ ] 山本一郎『赤い絨毯』 - 【第1回】10歳、冬、大曲へ

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