文体を意識して書く愉しみを身につける方法
文章で何かを伝えたい。ならば、文体は重要だ…と素人が力説してみる。
文体に無頓着。それは文章の愉しみの大方を放棄しているに等しい。何をどう書くか。或いは、描くか。それは書く愉しみの大きな一面だろう。文体を意識するということは語彙を意識し、語尾を意識し、文の長短を意識し、漢字や仮名の表記を意識することだ。それはつまり、リズムを選ぶことであり、キャラクターを選ぶことであり、ターゲットを選ぶことでもある。であれば、何を伝えたいか、誰に伝えたいかによって、文体は戦略的に選ばれるべきである。何も意識せずに紡がれた文章は、自らの思考のリズムと、自分という茫洋としたキャラクターと、無意識の自分という極めて限定的なターゲットに縛られてしまう。当然、「自分のためだけの文章」にしかなり得ない。
伝えたい内容についてよく知らない人たちに、まずは興味を持ってもらいたい。広く浅くでもいいから、とにかく自分の知識を伝えて役立ててほしい。そんなときに、専門的な単語やむずかしい漢字をたくさん使って、とっつきにくい文章を書いたのではダメに決まってますよね。たとえば、アニメに詳しくない人に『涼宮ハルヒの憂鬱』の魅力を知ってもらいたい。そこでいきなり「セカイ系」や「京アニ」や「山本寛」なんていうことばが盛りだくさんの長くてマニアックな文章を書いてしまっては、そもそも見向きもされないでしょう。初学者にはやさしく端的に、が基本です。
でもってあれだ。キャラを前面に押し出そうってのに、人称選びに手を抜くとかもうアホかと。俺がいきなり「ぼくは」とか「アタシって」とか「彼らの」とか「貴女方にとって」とかいいだしたら気持ち悪いだろうが。他人のことをクソだウンコだシットだと脊髄反射で脱糞しまくるのに「私はあの男が許せない。あんなことを平気で書く彼は真正の大便である。できることならいっそ汲み取り式便所の奥底の便の海に沈めてしまいたいくらいだ。」とかやってたんじゃ、まどろっこしくて敵わねえ。てめぇらみたいな低脳野郎コキ下ろすのに気取った見栄なんぞいらねーっての。
或いは、極めて意図的に対象を文体で選別する。そんな戦術も在り得るであろう。敢えて晦渋な表現や流行の術語を濫用することで浅薄なエリーティズムを刺激し、その実スノビズムに堕していることを巧みに隠蔽してしまう。斯様な卑俗な文に耽溺する輩は自らをその文章に掬い揚げられた「上澄み」であると信じ、しかし実際には粗悪なフィルターに濾し取られた側の俗物に過ぎず、歪な慢心を交換し合う低劣なるコミュニティの一員として選び出された共犯者に過ぎない。筆者と読者の爛れた蜜月を生み出すためだけに選ばれる、そんな哀しき文体もやはり存在し得るであろう。
まあ、文体?とかって、ぶっちゃけよくわかんないかもだけど。たとえば、ブログでつまんない日記とか書くじゃん。3行でハイ終わり、みたいな。それをさ、も一回書いてみたらいいと思うんだよね。おんなじ内容で。写しちゃだめだよ。前のは見ずに、ね。したら、文章変わってるよね。絶対。たった3行なのに。結局さあ、最初に書いた文って、絶対でも最善でもないんだよね。わかる?いま書いたたったの3行でさえ、無限の可能性?…まあ、そういうの、持ってるわけ。だから、どうしたら伝えたい人にうまく伝わるかなって、考える。うん、考えるんだ。ラブレターと一緒だね。
というわけで、やっぱり文体を意識して書くのは愉しい。主に、ぼくが。
posted in 09.07.21 Tue
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posted in 10.11.09, by Fermin Ochsner
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