バカと暇人が愉しめるウェブだから凡庸なぼくは世界を語る

凡人で暇人のぼくが愉しむためにネットはある。

暇潰しにそんな自分語りを書こうとして、そういえば少し前にバカだ暇人だとウェブを腐して釣り堀にエサを投げ込むような本を見かけたことを思い出し本屋に行ってみるとやっぱりあった。ウェブはバカと暇人のもの。素晴らしい。事実ウェブがバカと暇人のためになっているならこんなに素晴らしいことはない。大抵の人は「頭がいい」と確信できるほど賢くはないだろうし、死ぬまで暇を潰すか自死する以外に道がない程度には暇人である。なるほど、ウェブはみんなのものだ。そこまで考えて、本を手に取る前にもう読んだ気になったぼくはまったく別の本を買って店を出た。

ぼくという人間がどれほど凡庸かといえば、人を殺したいとも自殺しようとも思ったことがなく人を犯したいとも人に犯されたいとも思ったことがない程度に茫洋として凡庸である。全裸で出勤したことさえない。そんな凡庸な人間が書いた辺境のブログがいったいぜんたい面白いのかと問われれば、これはとても面白いと答えるよりない。誰が面白いのかってそれはもちろん、ぼくが、だ。ぼくはぼくのブログを読むしそれは死ぬまでにあとどれだけあるのか、或いは、ないのか分からない暇な人生を面白可笑しく着実に浪費してくれる。浪費は娯楽だ。無駄な時間こそ人生である。

生きることは世界という情報を断片的に読むことに違いなく、些か乱暴にフィルタリングされ濃縮された断片である文字情報が、麻薬のように脳を快楽で蝕むなんてことは思えば当然のことである。読む快楽を覚えた脳はさらなる快楽を求めて煉獄を彷徨う。そして、己が脳に最適化された文字情報を求め、自然、書きはじめる。オートクチュールの読む麻薬をただ自分のためだけに紡ぎはじめる。書くことは脳と世界との対話だ。たとえ世界が脳の中にしかないのだとしても、仮想された世界との対話はサンバのリズムで記録され脳を快楽のエデンへと誘う。世界は凡人の脳に宿る。

ただただ凡庸でバカで暇人なぼくの脳に宿ったぼくだけの快楽世界は、さしたる主張も一貫性もないままこのブログに記録され、取るに足りないウェブの藻屑となり、時折、他人の脳に宿った世界と衝突して変容した世界の一部となる。或いは、誰かの脳で変容したすでにぼくのものではない世界がいつかぼくの元に未だ見ぬ快楽と苦痛を運んでくる。愉しくて仕方がない。だからぼくはこうしてネットで人生を浪費する。マジカルなステップで式を打ち返しでもするようにメカニカルなキートップを縦横無尽に乱れ打つ。これを敗北というならいうがいい。所詮、世界の断片の話だ。

バカなぼくは、すでに読まなかった本のことなどすっかり忘れている。


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中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)

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