乾杯ビール問題の本質

他人にビールを強制する権利なんて誰にもない。そんなのは当たり前だ。

「最初の乾杯はビール」を強制されるのはもう嫌だ

ぼく自身はたぶん匿名氏のいう2の体質で「下戸遺伝子を片親からもら」ったらしい。弱いけれど、ビール1杯でどうにかなるほどじゃない。体調によっては辛いこともあるし、酒が酷く不味く感じることもある。よって、真性下戸の辛さを縷々語る匿名氏には同情を禁じ得ない。が、残念ながらこれは体質がどうだとかいう問題ではない。そもそも人に何かを強制することが正当性を持つことはあまりない。つまり、最初から理は匿名氏にある。それは「飲めない体質だから」という理由の故ではない。飲めない理由がまったくなくたって「強制」される筋合いなんてあるはずがないのである。

だから、匿名氏が「下戸遺伝子」について口角泡を飛ばして説明することは、乾杯ビールへの本質的な批判になっていない。本来、正当性を証明すべきは「強制する側」であって、「強制される側」ではないはずである。それを「飲めない理由がある人は乾杯ビールを免除されるべきだ」という論調に持っていってしまうことは、「理由がなければ強制されてもいい」という暗黙の承認を担保してしまう。この手の暗黙の強制を、世間的には「空気」という。翻って、「強制する側」はこの「空気」に正当性を感じる一派なのである。理由いかんに関わらず「空気」を害することが悪なのである。

ならば、匿名氏が糾弾すべきは過剰な「空気」偏重の風潮であって下戸への無理解ではない。まあ、あの文章自体は乾杯ビール批判なんかじゃなく、ただ「真性下戸の気持ちを解って欲しい」という思いで書かれたのかもしれない。下戸体質の啓蒙が目的なら、ビール強制の風潮に対する批判は余計である。いずれにしても、「真正下戸ではないけれどビールなんて飲みたくない」という人から正当性を奪う可能性があるという点で、件の主張にはやっぱり瑕疵があるとぼくは思う。繰り返すけれど、理不尽の被害者が自ら害を被る理由のないことを証明しなければならないというのはおかしい。

ただ、「空気」を読むこと自体は円滑な社会生活を営むのにそこそこ有用だったりする。過剰になるのがイケナイのだといっても、その線引きは誰がするのかという話になる。「ここからは過剰」という明確な境界があるわけではない。人によって感じ方は様々だろう。真性下戸に乾杯ビールを強制するような空気は過剰だといういい方はできるかもしれないけれど、たとえ正当な理由があっても「空気」を乱してしまえば疎ましがられることに変わりはない。逆にいうなら、正当な理由なんてなくても、「空気」さえ乱さなければ問題はないのである。実際、飲まずとも許されている人はいる。

自分の都合は通しつつ場の空気も害さない。そういう処世術を身に付けるには、たぶん結構なコミュ力が要る。飲まずとも仲間として受け入れられることと、どうせ飲まない奴だからと諦められることは似て非なるものだろう。下戸全員が前者になれればいいけれど、コミュ力が足りないばっかりに後者になる人もたぶん少なくない。こうなると、空気読み自体を否定するしかない。つまり、乾杯ビールをコミュ力でうまく回避できない人にとって、本当の敵は「下戸への無理解」などではない。「空気読み」偏重、「コミュ力」偏重のイマドキの価値観である。その意味でこの問題は根深い。

恐らくは、下戸遺伝子の啓蒙に励んだところで、さしたる意味はない。

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例によって個人的落書きですみませんが、私は下戸より多分はるかにマイナーな乾杯嫌悪症で「飲む前にひととグラスを合わせる」ことが死ぬほど嫌いなんだけど、適当に目高に掲げて誤魔化しても「あ、Nくんがまだ誰とも合わせれてないぞ」って絶対に誰かはグラスぶつけてくるんですよね
誇張無く、おっさん同士でハグして両頬にキスするアラブ式友好の挨拶くらい嫌なんだけど、これはやる方に多少は空気押し付けてるかなという自覚の契機すらないので避けようがない。
複数人で酒飲むときは最初にグラスをチンいわすものと心得て疑わない日本人の99.9%とは死ぬまで友達になりたくありません
そしてアラブ人のおっさんが腕を広げて寄って来たとき跳び退いてオジギで返す度胸も私にはないのだろう
「意味の無いもの」に逆らうというのは大変なことですね

> nbさん
乾杯嫌悪症ですか。なるほど。いわれてみれば、グラスを合わせるのが厭だという人がいたっておかしくないですね。そもそも集団で飲み食いするのが厭だというなら分かりやすいんですが、乾杯だけが厭というのは気付かれ難そうな気がします。わざと合わせないようにしてても、単にタイミングを逸したんだくらいに思われて、わざわざ好意でグラスを合わせにくる人とかいそうですし。まあ、何に嫌悪感を覚えるかなんてホントに人それぞれなわけで、あまりにもレアで度を越した反応になると病気だということになるんでしょう。潔癖症なんかと同じような理屈でしょうか。人に解されない嗜好を持つのもそれなりに大変ですが、逆は尚更面倒ですね。

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