食事をマズくするコミュ弱者を妄想する

どうせなら飯は旨く食いたい。たいして味など判らないぼくでもそう思う。

食事をマズくする人たち - タケルンバ卿日記

まあ、いわゆるあるあるネタなわけで、多かれ少なかれ飯を食うことに楽しみを見出している人は、たぶんこのくらいのことを思っていたりする。ぼくもそのひとりだし、かなり共感してもいる。ただ、最初の項目「店の人にエラそう」以外は、あんまり無碍に嫌ってやるのも酷かなと思わなくもない。個人的な好悪でいえば、ぼくは出されたものは旨そうに最後まで平らげる人が好きだ。ぼく自身出された食事を残すのは苦手である。この辺りはたぶん、育成環境に大きく依存する感覚だろう。外食でつい頼みすぎても残せない。ヒーヒーいいながら平らげてしまう。自分でも馬鹿だなぁと思う。

そもそも食事を楽しむというのは趣味の範囲の話である。生きるための食事と楽しむための食事は似て非なるものだ。食を趣味と解さない人は多い。クラシックに興味のない人をコンサートに連れて行ったなら、たとえ熟睡されてもそれは連れて行った方にも非がある。せっかく誘ったのに…とか、興味ないなら最初にいえよ、とかいうのも尤もだけれど、そういう社交をうまくコントロールできない人もいるだろう。ただ、これは「クラシック興味ある?」と最初に訊くだけで回避できる話だ。これが食事の場合は難しい。誰かと一緒に食事に行く目的が食事そのものにあるとは限らないからだ。

たとえば、タケルンバ卿と楽しく旅やはてなについて語り合いたいと思って食事の誘いに乗った人が、いつもの習慣で空気を読めず、つい食事をないがしろにする。何にでも醤油をかける家庭で育った人はそれを無礼だとは思わないし、食に執着がないからグルメなタケルンバ卿の外食に対する美学も読み取れない。彼にとっては、酒も食事もタケルンバ卿と楽しく過ごすための「場」でしかない。それこそ、親しい間柄なら部屋呑みでも一向に構わない。お金もかからないし。…そういう人はいると思う。そんな人が「食事をマズくする人」認定されてしまうのでは、少し可哀そうな気がする。

本当はコミュニケーションが苦手で、それでもタケルンバ卿と一緒に食事なんかしながら話してみたい。そう思ってオフに参加。けれども、やっぱりキョドってしまって、終始うつむき加減でうまく話せない。そうなると、味なんかよくわからないだろうし、分かっても「自然に」その感想を言動や態度に表わすことは難しい。本当はお金のことなんてどうでもいいのに、経済的負け組の貧乏根性が口をついて出てしまったりする。空気を読んだ食事会の作法なんて一切受信できず、頼んだサラダをひとりで黙々と喰らい尽し、手持無沙汰になってテーブルの真ん中に置かれた串焼きに手を伸ばす。

挙句「ここの肉うまいよねー」「さすがタケルンバ卿っ」とかいう会話に、今ならイケる!とつい勢い込んで「こないだ上司に連れてってもらったとこスゲーうまかったよ!ここと値段変わんないのに、これよりずっと柔らかくて霜とか降りまくりでさ!」とNGワードを発動してしまう。ああ、自慢じゃないんだ…話なれてないからつい今しかないと剥き出しの主張をしてしまうんだ…なんて思う余裕すらなく自滅していく。そして、もう次はない。空気読めない食事をマズくする達人とか思われて終了。ちょっとした表現に気を使う。普通に話すだけで大変なコミュ弱者にはこれが酷く難しい。

とまあ、以上がタケルンバ卿の意図を離れた、非コミュ妄想シミュレーションである。

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