コミュ弱者の典型的なディスコミュニケーション例

これはネットでは、まあ、ありがちなディスコミュニケーション例だろう。

可愛い子になりたかったぁあああああ
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可愛い子になりてぇーという以下のエントリを書いたら
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元エントリーの匿名氏は、別に答えや励ましを求めてひとつめのリンク先のようなことを書いたわけではないと思う。そもそも、見るからに相談の体を成していない。「可愛い子」は「お金持ち」やら「天才」やらにも置き換え可能で、テンプレとしての汎用性は高い。要するに、ただの「無いものねだり」である。まず、相談してどうにかなるものではない。おそらくは、どうにかなるなんて当人も思ってないから相談していないのである。何に一番近いかといえば愚痴である。匿名ダイアリーに書くくらいだから、何某かの反応は欲しかったんだろうとは思うけれども。

とにかく、持たざる者が持てる者の羨むべく点を書き散らかしたら、「いやいや、そんな良いことばかりじゃないよ」的な反応が返ってきた。おそらく、匿名氏だってそんなことは分かっているのである。むしろ、可愛い子に生まれれば幸せだとか単純に考えているはずがない。それは、貧乏男が「お金があったら豪邸に住んで、憧れのフェラーリを実車でコレクションして、きっと女にもモテて…」とか書いているのを見て、「金持ちも結構大変」みたいな、いわずもがななことをいっちゃうようなものだ。野暮である。そして、これらは慰めや励ましの類でもない。

こうしたエントリーとコメントの間に横たわるディスコミュニケーションの根本は、こうだ。まず「エントリーは相談ではない」、そして「コメントは回答ではない」。だから、アドバイスや励ましに類するコメントはたいてい的外れだし、それを読んでエントリーの書き手が「的外れなアドバイス(または、励まし)だ」と思うのも実は筋が違っている。それは、一見アドバイスや励ましに見えても、たいていはエントリー中の気になったフレーズに反応した結果にすぎないからだ。それぞれが自分の好きな方向にバラバラにボールを投げ合っているだけのことである。

そもそも、あそこまで普遍的で個別性を排したような元エントリーの内容に、何か実効的なアドバイスなり個別的な励ましなりが可能な道理はない。何しろ、あのエントリーの趣旨をまとめると「可愛い子になりたい」しか残らない。これにまともなアドバイスや励ましができるというならぜひ見てみたい。じゃあ、大量のブコメは何なのかというと、「可愛い子になりたいと叫ぶ自称ブスについてそれぞれ勝手に語るコーナー」である。示唆に富む内容やためになる内容が含まれる可能性もあるけれど、基本的には匿名氏への回答として書かれているわけではない。

ネットはこの手のディスコミュニケーションを抱えたまま、一方通行同士の「コミュニケーション的な何か」を増産している。もちろん本質的には、完全なコミュニケーションみたいなものこそ幻想だ。にしても、ネット上にあふれるディスコミュニケーションは正常なコミュニケーションを放棄しすぎているようにも感じる。ぼく自身、ネットの情報は流し読みが多く脊髄反射することが少なくない。ただ、ネットはそういうものだと割り切って自覚的にやっているならまだ救いはある。意を汲まない作法をリアルで、少なくとも、無意識に発動することはないからだ。

そして、コミュ弱者のコミュニケーション作法は、むしろリアルでこれに近い印象がある。

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