婚約指輪に価値はあるのか?

婚約指輪を買った。

きっと、結婚指輪も買うだろう。こういうものについて金額の話をするのは無粋である。が、それでは話が先に進まない。とりあえず、全部合わせれば、おそらく100万円はくだらないはずである。安いと思う人には安く、高いと思う人には高い買い物だろう。平均年収以下で生きているぼくにとっては、残念ながら、それなりに高いといわざるを得ない。特にお金に余裕があるわけでもないのに、新生活を始める前に100万円以上の散財をする。とても合理的とはいえない。当然、それだけ新生活にかけるお金を削ることになるだろう。ない袖が振れないのは仕方のないことである。

それじゃあ、ぼくがこの散財を馬鹿馬鹿しいと思っているかといえば、そうでもない。何故なら、そうと分かっていて欲しがるということは、彼女にとってそれは新生活にかける100万円以上に価値があるということだからだ。それは、ぼくにはよく理解できない価値観である。いずれ、ぼくは指輪自体の価値にお金を払ったわけではない。今この時期に彼女を喜ばせることには価値がある。そう思ったから使った。それも、たった今、或いは、この先少しの間の満足を買ったにすぎない。ぼくにとっての指輪の価値は彼女の気持ちに完全に依存している。約束された価値ではない。

この手の価値観の相違は、人と人が一緒にいる限り、きっと随所に現れてくる。ぼくは、本当に指輪の価値が分からなかった。だから、「指輪要らなくね?」と、半ば以上本気で訊いたことがある。結果、話を聞いてもやっぱり指輪の価値は解らなかった。ただ、「彼女にとっては価値があるのだ」ということがなんとなく解っただけだ。けれども、それで十分だと思ったから、なけなしの預金を指輪に注ぎ込むことにした。こうした価値観の違いを埋めることは、たぶん、できない。ただ、そういう価値観もあるんだと認めることができるだけである。それは別に哀しいことではない。

つまり、ぼくは指輪を買うことで彼女の指輪に対する価値観を認めるという意思表示をしたにすぎず、はたして彼女にとってそれがどれほどの意味を持つのかは彼女自身にしか判らないことである。そしてぼくは、今後も彼女の価値観のすべてを無条件に認められはしないだろう。もちろん、彼女だって、ぼくの価値観を簡単には認められないはずである。それはたとえば、日常のちょっとした会話からも想像できる。ぼくが趣味的なモノを買って嬉しくてついそのことをポロリと喋ると、大抵、彼女は酷い無駄遣いをしたかのように暗い声を出す。ぼくとしては意気消沈するよりない。

ふたりの価値観を共に満たせるほど、ぼくは十分に裕福ではない。悲しむべきは、その事実だろう。100万円を指輪に使ったはいいけれど、新生活資金からさらに100万円をオーディオ機器に費やすことはとてもできない。ぼく独りなら他の何かを犠牲にしてそれを優先させることもできる。けれども、音楽を聴くことに価値を感じられない彼女にとって、オーディオ機器というモノは「ふたりのためのもの」ではあり得ない。100万円を注ぎ込むなんて完全に理解不能だろう。それは、ぼくにとって指輪というモノが「ふたりのためのもの」ではあり得ないのと、たぶん同じことである。

限りある財産をいつも「ふたりのためのもの」だけに割けるなら問題はない。けれども、現実はそう甘くない。むしろ、大抵のものはどちらかの価値観を優先しなければならないはずである。炊飯器は「ふたりのためのもの」でも、2万円出すか10万円出すかは互いの価値観に依存する。意見が合えばいいけれど、紛糾すれば面倒である。はたまた、有限なのはお金だけではない。より深刻なのは、おそらく時間である。限りある時間を何に費やすかは、その人の価値観に大きく依存する。もちろん、ふたりの価値観を共に満たせるほど、ふたりの時間は有り余ってなどいないだろう。

一方から見ればそれは、お金と時間をどれだけ「自分の価値」と「相手の価値」と「ふたりの価値」に振り分けられるか、という問題である。また別の一方から見れば、「相手の価値」をどれだけ「自分の価値」または「ふたりの価値」と考えることができるか、という問題でもある。前者は運用面からみた問題のありようであり、後者は感情面からみた問題のありようである。感情面においてより多くの「相手の価値」を「自分の価値」や「ふたりの価値」に包含できるほど、当然、運用は容易になるだろう。逆に、重なる部分が少なくなるほど運用の腕が問われることになる。

結局のところ、ぼくは指輪に「ふたりの価値」を認めたということである。


【追記】
もちろん、彼女からは記念の品をもらうことになっているので念のため。

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comment - コメント

え?結婚されるんですか?おめでとうございます!

lylycoさんのサイトは論理的かつ共感しやすいので、よく参考にさせてもらってます。
しかし、自身の婚約指輪について論じられるとは(笑)

> つなさん
ええ、そう遠くないうちにしそうですね。ありがとうございます。
ぼくは何かを客観的に論じているようで、実はほとんどの場合、自分のことを書いているような気がします。その辺り、主観と客観の境界が曖昧な人間なんだと思います。

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