「魔法の本棚付き」の電子書籍はとてもお買い得なのではないか?

「書籍」って何?…というのは案外答えにくい問いだと思う。

Kindleで購入した電子書籍は、実はユーザーのものではない ≪ WIRED.jp

こういうのを読んでまず思うことは「コンテンツ」と「所有」のとても微妙で曖昧模糊とした関係性についてだ。紙の本を買うとき、ぼくたちは何を手に入れるのか?そこに書かれたコンテンツそのものだ、というのはちょっと考えにくい。それはきっと権利者たちのものだろう。ぼくたちは差し出されたコンテンツを消費する権利を手にしたにすぎない。しかし、手元には「コンテンツが印刷された紙のメディア」が残る。これも、たぶんぼくたちが本を買うことで手に入れたもののひとつだろう。とすれば、「紙の本を買う」という行為は、そこに記録されたコンテンツを読む権利と、記録されたメディアそのものを所有することを意味しているように思われる。

つまり、Kindleで売られている電子書籍と紙の本との違いは「記録されたメディアそのもの」を所有できるか否か、ということになる。これはそんなに大きな違いだろうか。たとえ紙の本を持っていたとしても、ぼくたちはコンテンツそのものを所有しているわけではないので、その記録メディアがなんらかの理由で読めない状態になったとき、当然、そのコンテンツを読む権利も同時に失うことになる。まっさらの紙に印刷しなおしたり、テキストデータをインターネット経由で送ってくれたりして、いちど買った本の「読む権利」を継続的に保障してくれるような寛大なコンテンツホルダーは、たぶん、いない。それは買ったメディアとセットの権利でしかない。

Kindle本には固定的な記録メディアがない。だから、所有もできない。けれども、ぼくはそれを特にマイナスだとは思わない。メディアごと読む権利を買うということは、そのメディアを自分で管理、保管しなきゃいけないということでもある。ぼくは特別に多読な方ではないけれど、それでも処置に困るくらいの本はいつの間にか持ってしまっている。多くはいまの住まいに移るとき実家に置き去りにしてきた。「記録メディアが読めない状態になる」というのは、何も自らの過失や事故によって本が燃えたり、溶けたり、紛失したりすることだけを意味しない。実家に死蔵されているぼくの多くの本たちは、ほとんどの場合「読めない状態」にあるといっていい。

もちろん「実家の死蔵本」は二度と読めないわけではない。けれども、それを読むために要するコストはちょっと馬鹿にならない。送ってもらうにしても取りに行くにしても、廉価に手に入る本なら買った方が安くつく。金銭的にも時間的にも、だ。手の届く範囲にすべての本を置いておけばいい、という人もいるかもしれない。それもひとつの方法だろう。可能ならいくらでも広大な書庫を持てばいいと思う。しかしながら、非常に遺憾なことに、ぼくには際限なく広がり続ける書庫を持てるほどの甲斐性はない。蔵書のために近所に倉庫を借りるとかマンションを借りるとかいう猛者もいるらしいけれど、経済的な意味でも実用的な意味でもあまり気は進まない。

その点、電子書籍は大変に魅力的である。たいていの場合、本の代金だけで魔法のように便利な本棚がついてくる。手に触れることができないかわりに場所は取らないし、ネットワーク環境と端末さえあれば、それこそ公衆便所の中で思い立っても以前買った本を読み返すことができる。読む権利を行使するうえで、実家や貸倉庫とは比ぶべくもない。何をいまさら当たり前のことを、という話ではある。その当たり前を紙の本と比較してなお、電子書籍が「固定の記録メディア」を持たないこと、購入者としてそれを物体として所有できないことが、そんなにもマイナスだろうか。ぼくには「書籍(読む権利)を所有する」という点からも紙の本より優位だと思える。

だからぼくは、電子書籍が特別にダメだとも、高すぎるとも思わない。

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