紙の本を捨ててもいいと思える3つの条件

当然、紙の本は100%亡くなる。いつかは。そして、人類だっていつかは滅ぶだろう。

紙の本が100%亡くなると断言できる、たった一つの理由 - 今週の天牌

もちろん、リンク先の人はそんな話をしているのではないだろう。技術革新によって旧来メディアが駆逐されるというのは、ありそうな話だ。けれども、こと「紙」に関してはまだまだだと思わざるを得ない。それは「ページをパラパラとめくる楽しみや印刷された紙の味わい」というような問題では、たぶん、ない。もっと実利的な意味で、今のデジタルメディアは紙の利便性に遠く及ばない。ただし、技術革新によって紙に代わるデジタルメディアが将来に亘って出てこないといい切ることも、また、できない。SF的になりすぎない程度に、それはどんなものか、と想像してみる。

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01:とりあえず300dpi以上の解像度

何よりもまずこれである。せいぜい100dpi前後しかない現状の表示性能では、どうしたって表示面積が狭くなる。文庫本を再現するのに文庫本の3倍の面積のデジタルデバイスが必要というのでは話にならない。ページ数を3倍にすればいいという問題でもないだろう。目も手も疲れる。デバイスを小型化するために印刷で表現され得る多くの情報を捨象してしまうのもイタダケナイ。本というのは装丁はもちろん、フォントや詰め、行間など版面にも様々な工夫がされている。低解像度のせいでそれらが再現されないというのではとても「進化」とはいえない。情報として劣化している。

02:文庫本サイズの手頃なデバイス

デジタル化の恩恵といえば入手が容易で場所や時間に縛られないというのが大きい。ネットワーク経由で瞬時に購入でき手持ちのデバイスに突っ込めばすぐに利用できる。やっぱり、iPodくらいの手軽さは必要だろう。ぼくは文庫本をいつも持ち歩いているのだけれど、あれ一冊分の大きさと重さで、この世に存在するすべての本が読めるんだと思うとこれはなかなかにワクワクする。紙の本と違って充電が必要だとか面倒なこともあるだろうけれど、文庫サイズのデバイスひとつで装丁まで込みのあらゆる書籍データがオンデマンドで瞬時に手に入るのだとしたらその魅力は大きい。

03:いい加減なインターフェイス

たとえば、紙の本は「あの本のあの辺りにあれっぽいことが書いてあったよな」みたいないい加減な検索ができる。明示的に検索しないと出てこないのでは、探し出せない情報というのはある。或いは、小説の途中で読み流していた伏線を探してパラパラとページを戻るなんてこともある。やっぱりページは適当にめくりたい。付箋やしおりは当然のこととして、あるページに指を挟んでおいて別のページを見直すようなことも直感的な操作でできると嬉しい。また、好きな所に傍線を引いたり余白に書き込みができたりすることも重要だろう。複数の書籍を同時に扱えるとなお良い。

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とまあ、適当なことを書いてみたけれど、これらの条件を十分に備えたデバイスというのは、ほとんど紙の本シミュレーターである。紙の本をテキストデータ、記録メディア、再生デバイスという3つの要素に分解して考えるとき、もっとも大きいデジタル化の恩恵はデータとしての利便性だろう。また、メディアとしての記録コストについても印刷よりデジタルに分があるかもしれない。ただ、デバイスとしての性能だけは現状のデジタル技術ではまるで及ばない。実のところ、「紙の本」に対する読書デバイスとしての不満というのはあまり思い付かない。これを超えるのは難しい。

そして、本当の技術革新はよくできたシミュレーターを超える何かであるべきだろう。

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