彼女が結婚しない理由

どうして結婚しないの?

彼のことは好きだけど結婚てなると家のこととかしなきゃなんないし、いまみたいに自由に洋服買ったり外食したりできなくなるでしょ…とは、ぼくの知人の言葉である。そうした理由で結婚を躊躇う。たぶん、珍しい話ではない。何かを選ぶことは別の何かを捨てることだ、とはいい古された台詞である。確かに人は、いま結婚することで得られる未来と、いま結婚しないことで得られる未来を同時に手に入れることはできない。これは何も結婚に限った話ではない。就職を躊躇うフリーターでも子作りを躊躇う夫婦でもいい。似たようなシチュエーションはいくらでもあるだろう。

つい、失うものばかり数えてしまう。そんなときは少し立ち止まって考えてみた方がいい。それは本当に大切なものだろうか。自由に洋服が買えることや外食できることが、自分をどれほど幸せにしているだろう。失したくない自由な時間とやらは、いまの自分をどれほど充実させているだろう。本当に大切で失くしたくない何かがある。それはとても幸福なことだと思う。だから、それを捨てなきゃできない結婚や子作りや就職なら、しない方が幸せかもしれない。果たしてそれほどのものが自分にはあるだろうか。どんなツマラナイものでも人は捨てるとなると惜しくなるものだ。

結婚しても子どもができても就職しても1日は24時間だし、1年は365日である。また、「自分のためだけの時間」のみが「自分の時間」でもない。生まれて死ぬまでのすべての時間が「自分の時間」である。結婚して目減りする「自分のためだけの時間」は「自分と伴侶のための時間」になり、子どもができて目減りする「自分のためだけの時間」は「自分と子供のための時間」になる。仕事についてはそう単純ではないけれど、いずれ、フリーターの自由とサラリーマンのそれとの間に有意な差があるとは思えない。どちらもそれなりの自由と不自由のトレードオフの結果でしかない。

だから、自分が「変わらない」理由を「失うもの」に求めるのは危険だ。下手をすると、くだらないゴミを握りしめたまま幸福を掴み損ねる、なんてことになりかねない。そうならないためにも「失うもの」の質を見極めることは大切だ。そして、できることなら減点法ではなく加点法で考える。たとえば、「変わらない」ことで得られる未来の幸福と「変わる」ことで得られるかもしれない未来の幸福、という具合に。そして、より得るものの多そうな方に賭けてみる。もちろん、現状維持こそが我が幸福であると結論したなら、迷うことなく現状維持に努めればいい。正解はない。

ただ、何かを決断しないという「選択」も、決断するのと同程度にはリスキーなのである。

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comment - コメント

少々違うことを考えます。
(例えば)独身生活と家庭を持つことをAとBの得失比較で考える人は、どっちを選んでもひとが変わらないと思います。
追々「変わる」より速く環境がどんどん新たな展開を見せるとき、まあありきたりの不幸なるものが訪れたりして。

AとBでなくAとΩなのだという質的差を予知したとき、その錯覚にリアリティを感じたとき、その人は自分が変わるということをつかまえるのだと思います。
(それぞれの予想未来の幸福を考えるとか、失うものの質を見極め―加点法で考えるというあたりとは、私がいまふわふわ思っていることはちょっと違う気がします)

特攻隊として自殺攻撃に出て行くという場合。戦術上の費用対効果とか、行った場合の名誉と断った場合のイジメを勘案して自ら納得するわけではない。
いや志願表明の瞬間はそうなのだろうが。この場合はあまりにも待ったなしなので決断はあとから追いかけてくる。
一身の死とは次元の違うなにものかのために行くのだと自分を納得させようとするわけですね。そしてさいごの瞬間、爆弾の部品として死ねる人間になる。
「雲の墓標」という本で「行けば全てがわかる」という一文があったのを思い出すのだけども…

ゴミ握ってくたばるかもよ? あるいは、そこで立ち枯れるかもよ? というアラートは、損得を考えて迷ってる人の耳には、お決まりの「個人の価値観への侵犯」と響くと思います。よくオタクが本能で嫌うやつ。
結婚することが、あるいはしないことが得失を超える秘儀だと錯覚しちゃった人は、その時どんなことをしてでも―ちょっと昔ならイエにそむいてでも、今で言えば「負け組」っぷり全開の孤独死が待っていそうでも、どうしてもそうしようとする。

lylycoさんの話は、損得をよりディープに考えろ、と言ってるように聞こえます。経営ハウツーみたいに…それは見る前に跳ぶ人ならぬ、完全には見通せないから跳べない人という人にとっては有意かどうか?
多分力点はやはり末尾の一文にあるのだろうから、それが警句として誰にとっても必ずしも生きないとは思いませんが、「そんなことはわかってるから余計迷うんだ」ということにしかならぬやも。

> nbさん
このエントリーはいつもにも増して、有効なターゲットの範囲が狭い。自分でもそう思います。というのも、これは冒頭にもある通り特定の知人(そして、似たような考え方をする人たち)を想定して書き始めたもので、nbさんが提示されたような種類のそれとはかなり質の異なる次元の迷いを対象にしているからです。とはいえ、確かにこれでは損得勘定の域を出ず、そういう人たちにとってすらさほど有意ではない、という可能性は大いにありますね。少なくとも、ある程度ちゃんと考えた上で「選択」に迷っているような人にとっては、なんとも浅い話でしかないだろうなあとは思います。自分で書いておきながらこんなこというのもなんですが…。

ほんとにあんのか?選択肢

自明の選択なら迷わないし、どちらでもいいのならどちらでもいい。

後は結果論になってしまうのではないかな。

> 耶麻陀さん
ない、という視点から語ることもできると思います。人生を選択することなんてできない。大局的にはそういう見方もたぶん珍しくない。逆に、ある局所的な選択が主観的には「自明」でなく、且つ、どちらでもよくないくらいには重大事だと認識されるとき、人は迷うのではないかと思います。そして、人はたったひとつの「結果」しか生きられない以上、すべては結果論にしかなり得ず、そんなものは、論じたところで別の「結果」がすでに(或いは、予め)失われている以上、不毛だという考え方もあるでしょうね。

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