病欠中に遊ぶような社員は首にしたって構わない

権利ばかり主張して義務を果たさない無能人。|未来予想株式会社COO 庄子素史の日記
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現行法がどうなっているかという話はひとまずおいておく。

ぼくの手に余るということもある。が、それが「正しい」という保証もない。だから、ぼくは現行法ではなく「そうあって欲しい社会」を念頭に書く。その上で、「病欠中に遊んでいることが判明した社員を馘首すること」を、ぼくはイケナイことだとは思わない。少なくともこれは、「このくらいの理由で首にするなんて酷い!」という話ではないだろう。いかなる理由であれ雇用者が不要と判断した社員を馘首するのは、本来、当然のことではないか。それができないのは、被雇用者の生活が不安定になるからである。会社は「不要な社員」にまで責任を持たされているのである。

それは果たして「当たり前」のことだろうか。雇用者には「雇った責任」があるという。確かに選んだのは雇用者側だろう。けれども、本当に有用な社員であるかどうかなんて実際のところ雇ってみなければ判らないものだとぼくは思う。どんなに手練の面接官でも数度会っただけの他人と会社の相性なんてそう簡単に見抜けるはずはないのである。それを「雇った以上は責任を持て」などといわれる。しばらく様子を見てから適性が低いことに気が付いても、もう遅い。年間最低数百万は持っていかれる。酷く一方的なリスクである。企業が雇用に対して慎重になるのも当然だろう。

企業の雇用を委縮させる。労働者にとっても望むところではないはずだ。「失敗を許さない雇用システム」は雇用者も被雇用者も幸せにしない。企業も労働者も共にTry and Errorが許される。本来、そうあるべきではないか。「病欠中に遊ぶような社員は要らない」という企業もあれば「休暇中に何をしようが有用であれば結構」という企業もあるだろう。その採用方針によって「本当は有用な人材」を取り逃がすとすれば、それは会社の責任である。そして、前者のような会社を首になった人が、後者のような会社に巡り合えればいい。その間に食い詰める心配がないことも大事だ。

要するに、こうした雇用にかかるリスクは「福祉」に類する問題と考えるべきなのである。それは「会社」ではなく「社会」が負うべきリスクである。もちろん、現状でも雇用保険といった福祉システムは存在する。それでも「会社」に過大な雇用リスクを負わせているのである。つまり、本来営利団体であるべき企業が福祉システムの一端を背負わされているということになる。そのせいで体力の低下した企業は雇用に消極的になり、離職者の再就職は困難になる。離職が即、生活不安に繋がる。労働者は企業に権利を主張せざるを得ず、たとえ適正がなくてもしがみつこうとする。

病欠中に遊ぶ社員を首にもできない。それは、労働者にとっても生き辛い社会である。


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