給与交渉をするとはどういうことか?

お金について酷く当たり前な話をしてみる。

たとえば、会社からもらう給料に不満があるとする。なぜ不満なのか。答えは大きくふたつに分けられる。ひとつは「自分の労働の価値に比して給与が少ない」という不満。もうひとつは「(自分の価値とは無関係に)より多くのお金が欲しい」という不満だ。本来、会社をはじめとする営利組織は、その本質として前者の問題しか扱えない。少なくとも前者は利害の問題に収斂され得る。「あらゆる点で公正な評価」みたいな理想は叶えられないまでも、前者の不満との「対話」は可能だろう。けれども、後者はそうはいかない。そのために割くべきお金には「根拠」がないからだ。

単純化するなら、労働者は会社に対して「価値」を提供することで「対価」を得、会社は社会に対して「価値」を提供することで「対価」を得る。労働者が提供する価値を有効利用して市場に対する価値に転換、最大化するのが経営の大きな役割のひとつといっていい。こうした構造下では、「給与に対する不満」は3つのレイヤーに分けられる。ひとつは「自己に対する過大評価」。これは単純に、自分で思っているほど社会的に価値がないケースだ。要するに、自信過剰だとか勘違いの類である。会社としては突っぱねるのが正しい。受け入れれば他の誰かが割を食うことになる。

問題は、残るふたつである。ひとつめは「経営陣の能力不足」。会社が労働者の価値を適正な市場価値に転換できない。労働力の使い方が下手か、或いは、売り込む力がないのだろう。つまり、労働力はあるのに儲からない。よって、ない袖は振れないということになる。これはどうこういったところで、経営が悪い。にもかかわらず、労働者を評価する権限は普通、経営陣にある。この場合、労働者は経営陣の非を認めさせ彼らの給与を奪うべく戦うか、自ら経営に関わって実績をあげるか、見切りをつけて会社を去るか、不満な給与に甘んじて耐えるかを選択しなければならない。

もうひとつは「評価制度に対する疑問」である。大抵の場合は、先のふたつとのコンボだったりもするのだけれど、そこはまあそれである。前提として、労働者に適正な労働力があり、会社は適正な市場価値を生んでいる、ということにしておく。よって、会社には十分な支払い能力がある。にも関わらず、その配分がおかしいというケースである。これはほとんど永遠の課題といってもいい。正解はない。ただ、自分の価値を認めさせ、お金を分捕る先が「会社存続のための財布」か「経営陣の財布」か「同僚の財布」かは意識しておくべきだろう。それで、戦い方が変わってくる。

ところで、お金というのは数値化され抽象化された「価値」である。だから、お金の移動は「価値を認める者」が「価値を生む者」に支払うという形で行われる。逆にいえば、その性質上「価値を認められない者」へは支払われない。これは当たり前だけれど、大切なポイントだ。会社が「(自分の価値とは無関係に)より多くのお金が欲しい」という不満に答えにくいのはそのためだ。会社は「社会的な価値」以外に対価の「根拠」を持たない。「価値」のないところに利を分配する。そんな無理を通せば、しわ寄せがどこかにくるだろう。悪くすれば会社として体をなさなくなる。

では、「(自分の価値とは無関係に)より多くのお金が欲しい」と主張することは不当だろうか。ここは、人が生きるための基本的な衣食住までもが「価値」に置き換えられる世界である。ぼくたちは自らの「価値」を誰かに認めさせなければ「生きること」が許されない。つまり、比喩ではなく現実に「人間の命はお金に換算されている」のである。社会的に十分に認められるだけの「価値」を持たない人間が生きようと思えば、「(自分の価値とは無関係に)より多くのお金が欲しい」と主張せざるを得ない。これはもう「給与交渉」の問題ではない。「社会福祉」の問題だろう。

けれども、ぼくたちはいまだ他人から命を買わなければ生きられない社会を生きている。

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すいません、なんか読み飛ばせなくってひょっと来てしまいました。・・・女性にとって、これさらに複雑な問題ですよね。と、言うのも、専業主婦はもちろんですが、そうでなくても「女」はいつも「男」に、給与=自分の価値(美人か、料理が上手いか、子供の教育能力があるか、etc.そういう女は高く売れる)をいつも見積もられている訳ですから。なおそこに、「自分の性」を「貨幣(と、言ってこれまた悪ければティファニーの宝飾品)」に換算されているという現実があります。・・・「女の価値に目覚める」って、とどのつまり、そういう世間に適応しようとする、儚い試みですよ。

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