「成功の鍵」が継承できない決定的な理由

結論から書くと「成功者だって自分がなぜ成功したか本当は知らない」からだ。

もっというなら、彼らは成功の要因を捏造するといってもいい。たとえば、「毎日こんなことに気をつけて努力してきたとこがいまの成功に繋がりました」なんて体験が語られるとき、本当にそれが成功要因だったのかどうか検証する術はない。もしかすると、そんな努力はさして成功に寄与しておらず、もっと外的な要因、たとえば予想外の時代の変化やある人との偶発的な出会いみたいなものが「決定的」だったという可能性もある。何が決定的だったかなんて、成功者当人にも本当のところはわからない。彼らはただ、「自分はやった」と思うことをそれらしく語るだけである。

およそ彼らの語る「成功の鍵」は成功に繋がった「かもしれない」多くの要因のうちのひとつにすぎない。成功者が「多くの人に会い、礼を尽くし、その人のために何ができるか考え続けてきた。彼らとの出会いこそが成功の鍵だった」などと語る。そこから「出会った人と良好な関係を築くノウハウ」は引き出せるかもしれない。が、成功との因果関係は不明である。良好な関係は努力の賜物だったとして、成功に繋がるような重要な出会いそのものは運だったかもしれない。また、それほど決定的な出会いでさえ、その他多くの条件が調わなければ成功には繋がらなかっただろう。

もちろん継承可能なノウハウはある。ただし、継承できるのは比較的「前提条件が明確」なものに限られる。当然、入力と出力の間に「不確定要素」が少ないほど再現性は高まる。いうまでもないことだろう。そして、いわゆる「成功体験」の多くは、語られる物語の外側に膨大な量の「確定要素」を持っている。そこには時代背景や生まれ育ちみたいなものまで含まれる。そして、どの「確定要素」が成功に貢献したかなど、当の本人にさえ、十分に知る方法はない。つまり、フォロワーにしてみれば、「前提条件は極めて不明確」であり、且つ「不確定要素」は極めて膨大である。

だから、努力など無駄だというのではない。「成功者」みたいな複雑な因果の果てにできあがるようなものに対しては、「何が幸いするかわからない」といっているだけだ。なにがしかの努力が成功に繋がることも確率的にはあり得るだろう。ただ、成功者の前例は決して「成功のためのノウハウ」たり得ない。最低限の資金で会社を作るノウハウとか短期間で人脈を広げるノウハウとか仕事効率をあげるノウハウとか、期待できるのはその手の個別的なノウハウだけだ。繰り返す。成功者たちはただ、自分が思い付く努力や方法論を「成功の秘訣」だと勝手に考えているにすぎない。

畢竟、他人の成功体験など自己啓発の具とするくらいしか有効な使い道はない。

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いいサイトですね。読み物として面白いですし、サイトが奇麗。また遊びにきます〜!

> mikanさん
ありがとうございます。お手すきのときにでも、また読みにきてもらえると嬉しいです。ではでは。

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