ダメな人間を分析しても無駄なたったひとつの理由

【第6話】ダメな人間の10パターン:日経ビジネスオンライン

それは、決して「瑕のない人間が成功する」わけではないからだ。

人の振り見て我が振り直せという言葉がある。これは自戒の言葉であって成功への道を説いた言葉ではない。そんなことは小学生でも知っている。それをまるで成功への秘訣でも隠されているかのように人の欠点を論うなどいい大人のやることではない。失敗の法則は失敗の法則でしかない。裏返してみたところで成功の法則にはならない。そして、残念ながら成功の法則はない。あらゆる成功譚は、成功者だけが振り返ることのできる一回性の物語でしかない。まず、再現性はない。成功以前の松下幸之助がいま転生したとしても、再び成功者となる可能性は他の誰とも変わらない。

向上心溢れるビジネスパーソン諸氏がリンク先の記事を読んで、自らを鼓舞する暗示を覚え、じっくり取り組む姿勢を手に入れ、外に出て行く勇気と気力を持ち、交友関係を充実させ、頼れる師を得、しっかりとした目標を立て、礼節を知り、誰にも公平な態度で接し、自らの足で立ち、日々成長し続けるというなら、それは決して悪いことではない。ただし、これらはどれも人の振り見てなんとやらでいう「人の振り」である。「ああはなるまい」と思うなら自戒の具とする。それを成功と結び付けるなど酷い牽強付会である。せいぜいがところ、自らの「美学」の問題にすぎない。

現実は複雑だ。ダメ人間の特徴を多く抱えながら成功する人は珍しくない。というより、あらゆる視点で欠点のない人間などいるはずもない。たとえそれがどんな性質であっても、潜在的には失敗の可能性も成功の可能性も持っていると考えるのが妥当だ。何をもって成功とするかは各々が好きに考えればいい。そして、自分が思う成功者を思い浮かべてみればいい。大抵の成功者は「欠点がないから」成功したわけではないだろう。欠点を補って余りある、或いは、欠点さえ成功の一因たり得るような才に恵まれて成功する。そして、才とは運良く時流を得た性質を指す言葉である。

礼節を知ることが枷になることもあれば、筆不精が功を奏することだってあろう。同じ性質でも失敗すれば失敗の一因と見做され、成功すればそれは成功の一因と解釈される。巡り合わせとはそんなものである。誰かに憧れたり、反面教師にしたりすることは、確かに自らの行動の規範となり得る。けれども、それはあくまでも「規範」であって「法則」ではない。未来におけるなにがしかの結果を約束するものでも、できるものでもない。あいつは心の友もいない淋しいやつで、だから成功もできないダメ人間なのだ、などと勝手に他人を評価するなど悪趣味以外の何ものでもない。

そもそも再現性の高い法則がどこにもないからコンサルなんて仕事が重宝されるのである。

related entry - 関連エントリー

trackback - トラックバック

trackback URL > http://lylyco.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/615

comment - コメント

コメントを投稿

エントリー検索