「今何をやりたいか」なんて瑣末な問題にすぎない

「やりたいことを探しなさい」なんてアドバイスを信じてはいけない。

新社会人の憂鬱

未熟なぼくたちが「今やりたいこと」なんてたがか知れている。選択肢が少なすぎる。世の中にどれだけの「やるべきこと」があるか、ぼくたちは知らない。選択肢がどこまで広がるのか、ぼくたちは知らない。そんな狭い狭い選択肢の中からいくら「今やりたいこと」を探したって大したものは見つからない。結局、思っていたのと違う、と失望するのがオチだ。本が好きだからと書店員になっても、デザインが好きだからとデザイナーになっても、ジャニーズが好きだからとタレントになっても、やっぱり、思っていたのとは違うといって失望するだろう。これではキリがない。

有名デザイナーが斬新な装丁を手がけた本が話題になる。その装丁でその本を出すために、どれだけの人が、どれだけの知恵が、どれだけの才能が、どれだけの技術や職能が必要だったのか。それに関わった人たちは、何に情熱を傾け、何にやり甲斐を見出し、何に苦労し、何に歓びを感じたのか。彼らはその情熱を、やり甲斐を、苦労を、歓びを、最初から知っていたわけではないだろう。知らないものをやりたがることはできない。あなたは今やりたいことを今知っている数少ない選択肢の中からしか選べない。「今やりたいことを探す」なんて割の悪いやり方だと、ぼくは思う。

それなら、何を探せというのか。ぼくは「自分がこれからどうなりたいか」だと思う。今ではなく、未来だ。一篇の長篇小説を書きあげるために100万回キーを叩く小説家は、「今キーを叩きたい」から叩いているわけではない。キーだけじゃない。構想を練ることも、アイデアを絞り出すことも、編集者とやり合うことも、それ自体がやりたいことだとは限らない。すべては世に問うべき作品のためにやっているのかもしれないし、自らの名声のためにやっているのかもしれない。いずれ、小説を書くことでしか目指せない自分がいるから、苦しい思いをしても書くんだろうと思う。

ただやりたいことをやるのではなく、なりたい自分になるために「今必要こと」をする。なりたい自分がなければ「やりたくないこと」でも、なりたい自分になるためならやり甲斐を見出せるかもしれない。「今やりたいか」ではない。「何のためにやるか」が大事なのである。やりたいことを消費するだけの人生なんて、きっとつまらない。飢餓感や退屈との終わりなき闘いでしかない。ぼくは「できれば働かずに暮らしたい」という人の言葉を信じない。実のところ、人間は大抵のことを面倒に感じる生き物だ。今愉しいことだって毎日10時間もやれば、すぐに飽きて面倒になる。

未だ何者でもないぼくたちが持つべきは「面倒」を「やり甲斐」に変えるビジョンだ。

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