ソフトバンクとホットペッパーと橋下弁護士の三題噺

“日本の携帯を高くしている真犯人は”というページが面白い。

要約すればこういうことだ。携帯の他社間通話には「アクセスチャージ」と呼ばれるコストがかかる。これは送信側の会社が受信側に支払うもので、通信コストの多くを占めている。たとえば、Domocoユーザーがソフトバンクの契約端末に電話をかけた場合、Docomoはソフトバンクに対してこの「アクセスチャージ」を支払わなければならない。しかも、「アクセスチャージ」の価格は携帯会社が勝手に決められるのだという。業界で一律なわけではないらしい。先のページではこれを「事業者の良心の問題」としている。

そこで、Docomo、au、ソフトバンクの「アクセスチャージ」を比較すると、圧倒的にソフトバンクのそれが高い。つまり、他社からソフトバンクに電話をかけると、通信コストが高くつくことになる。けれども、携帯の通信料は大抵どこの携帯にかけても一律だ。ソフトバンクにかけた時だけ高いなんて料金プランの会社は見たことがない。要するに、どこへかけてもマイナスにならない値段設定になっている。だとすれば、ソフトバンクのせいで全体に携帯料金が底上げされていることになるではないか。そういう論旨である。

なるほど、こういう仕組みもあったのか、と門外漢のぼくなどには新鮮だった。普通、低価格サービスというのは沢山売ることで成り立つものだ。これを薄利多売という。にも関わらず、ソフトバンクは契約者数の少ない内から徹底して低価格を売りにしてきた。けれども、この仕組みでいけば圧倒的に自社間通話よりも他社間通話が多いはずのソフトバンクは、割高な「アクセスチャージ」で利鞘を稼ぐことができる。自社の契約者に甘い顔をしておきながら、業界全体の通信コストを嵩上げすることで利益を担保していたわけだ。

こうした見え難いお金の流れというのは案外あちこちにあるのだろう。例えば、無料のクーポンマガジンというのがある。あれは確かに便利だ。ちょっと飲みに行こうってときには大変重宝する。無難に近場のチェーン系居酒屋で済ませようなんてニーズにがっちりハマっている。その上ちょっとした割引までついてくる。ところで、こうした無料マガジンはどこから収益をあげているんだろう。当然、掲載されている飲食店からに違いない。つまり、店が広告費を払うことで、ぼくたちは無料で情報とクーポンを手にできるわけだ。

じゃあ、その広告費はどこから捻出されるのか。もちろん店の売り上げからである。大抵の売り物は経費と利益から値が決まる。ならば、販促費は売価に含まれていることになる。つまり、無料マガジンに載っている居酒屋の飲み代には、食材の質や人的及び設備的サービスの質以上のコストがかかっていることになる。要は、内容の割に高いのである。つまり、こうした無料サービスは実際に利用した段階で、間接的にその対価を支払っているのだともいえる。知らず知らずの内に差し出された利便性を買っているのである。

ということは、だ。裏を返せばホットペッパーを利用せず、掲載店とは知らずに飲み食いしてしまった場合、これは利用もしていないサービスに対して対価を払っていることになる。その上クーポンもないわけだから、サービス利用者以上に割高だ。堅実と倹約を旨とするならサービスをしっかり利用するか、広告費など使わず食材と人件費以外のコストを極力抑えた良心的な価格設定の店を探すべきである。いずれにしても、こういうある意味で迂闊な人たち、あるいは大らかな人たちが、この手の無料サービスを支えているのだろう。

同じようなことは、より公的な場所にもある。税収で賄われている各種行政サービスにしろ、医療費の3割負担を担保する健康保険にしろ、本当にその恩恵を十分に受けている人はそう多くないと思う。例えば、年に1、2度風邪で病院に行く程度の健康なサラリーマンなら、治療費を全額負担する方が健康保険料よりずっと安い。こうした仕組みは、大抵の場合より多くを利用する人にそうでもない人からお金が流れるという図式になっている。そのこと自体は社会的な相互扶助という観点から、必ずしも否定されるべきものではないだろう。

ただし、そうした仕組みを維持するためにはコストがかかる。無料クーポンマガジンを作るのにお金がかかるのと同じことだ。ならば、広告費が消費者から回収されるように、行政システムの運用費だってサービス料に上乗せされていることになる。あとは、そのコストが適正かどうかだけの問題である。一般のサービスや商品であれば、コストに合わないと判断すればサービスを受けない、商品を買わないという選択肢がある。ソフトバンクに加入しないとか、ホットペッパーは使わないとか、掲載店は利用しないとかいうのは自由だ。

けれども、税金やその周辺のあれこれはそうもいかない。そして、これこそが見え難いお金の流れの代表なんじゃないかとも思う。杜撰な運用体制が明るみにでた社保庁にしろ、橋下弁護士が知事になった大阪府の暗黒財政にしろ、すべては適切なコストで適切なサービスが運用されてこなかったことを示している。受益者であるはずのぼくたちに選択の余地がない以上、適切な運用を厳しく監視する目が必要だろう。そして不適切が発覚したときは大騒ぎすればいい。何をしても無駄だとシニカルに構えているよりは幾分マシだ。

ならば橋下弁護士に一票入れるというのもひとつの手だったかもしれない。

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