直島とアートと愛について

直島に行く。

明日から一泊の旅程である。島と名の付く観光地は自然や景観をウリにしたリゾートであることが多い。直島は違う。むしろ、ディズニーランドやUSJに近い。いわばアートを主題にしたテーマパークである。酷くアーティフィシャルで、それゆえに愛すべき島である。アートは人の肉体を生かしはしない。不要といえばこれほど不要なものもない。人が生きるか死ぬかというとき、真っ先に捨てられるもの。アートこそ、その筆頭だろう。けれども、そういうものをこそぼくたちは愛するべきではないか。愛されなければ失われてしまう。だからこそ、愛するべきなのだとぼくは思う。

音楽を愛し、文芸を愛し、マンガを愛し、二次元少女を愛する。その愛は何ものをも生かさず、ただ自らの精神のみを生かす。それをただ一方的な、空虚な愛だという人はたぶん何かを思い違えている。たとえば、人を愛する。それだって本質的には同じことだ。人は自らの精神を生かすために人を愛する。それは酷く一方的で身勝手なものだ。相思相愛とは、決してひとつの愛を共有することではない。ただ、一方的なふたつの愛が互いの方向を向いている。愛に意味や充実や幸福を見出しているから愛する。ただそれだけのことだ。そして、ただそれのみこそが大事なことなのだ。

人間は立派なメンタルジャンキーに進化した。パンのみに生きるにあらず、とはそういうことだろう。心を喪くして生きることを是としない。よりラディカルに死と同義だと考える。そうやって人は幸福を縛った。それでも、ただ愛することで精神は生きる。そのはずだった。けれども、アートが、音楽が、文芸が、マンガが、二次元少女が愛を失って滅びるように、人も愛されなければ死んでしまう。そんなふうに感じるようになった。本来、愛されることに意味はないはずだった。それは求めるべきものでも求め得るものでもない。ただ自らの内に生まれいづるもののはずだった。

そして精神から自由になれないぼくは開き直って、だから、直島に行く。

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